すっきり感とくやしさと

表現力のつたなさゆえ、自分ではうまく伝えることができなかった考えを、見事に表現してくれているブログ記事に出会いました。

楽しいやせ我慢
初代MacBook Airは未来の世界を想像力で補完しながら使う製品でした。つまりやせ我慢が必要です。それはとても楽しい体験です。そういう夢が少しも受け入れられなければたちまち非合理にしか感じられなくなるでしょう。
 そして多くの夢はタブレット型製品へバトンタッチされて、MacBook Airは空中から地面に着地し、奇をてらわない現実路線寄りに再設計されました。

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今のMacBook Airの現モデルになんだか物足りなさを感じて、前モデルにこだわっていた僕の思いは、まさにこういうことでした。
わが家のMacBook Airは旧モデルになってしまいましたが、充電がしにくいとか毒づきながらも毎日使っています。これ以上のMac(というか道具)は考えられず、僕の中では最後のMacと位置づけてきましたし、その思いは今も全く変わりません。いつか壊れて動かなくなってしまうことが怖いくらいに。

「最後のMac」の検索結果 - y3nagataです。

決して、現モデルが駄目なわけじゃないんです。でも「着地して」しまった。そこが僕には残念だったんです。そしてMacBook Airへの評価に「はやい」という言葉が使われることに、違和感を感じてしまったのです。(これまた表現力がない故、うまく伝えられずに、少し残念なコメントをいただいたりもしました。)

ちょっと違うでしょ。 - y3nagataです。


Macnopolitanの記事について、もっと何か書きたいのですが、引用箇所以外にも、バックライトキーボードやJobsのプレゼンについてなど、あまりに「そのとおり」と思わされてしまい、これまた表現力が弱い僕には何も書けません。


いやはや参りました。