分かりやすさと分かったつもり

http://28.media.tumblr.com/tumblr_l5itr4B28w1qaqs3eo1_500.jpg

孫さんのつぶやきから電子教科書の議論が盛り上がっているようです。

高校の英語の授業には、補助教員でMさんっていうネイティブの先生がいたんですよ。中学校でまるでパズルのような勉強をしてきて、発音もカタカナで覚えて高校受験を通過して、英語がわかったつもりになってた僕にとって、Mさんとの出会いは衝撃的でした。Mさんとちっとも会話ができない。「英語」ってのは「言いたい事を伝えたい」という気持を乗っける言葉なんだと思い知りました。

小学校の理科の授業で、二酸化炭素を発生させる実験をしていて、隣の班が調子に乗っていっぱい入れて軽く爆発させたことがありました。いやあ、あの時は怖かった。


子供っていうのは、つい分かったつもりになって、調子に乗ります


塾で長い間アルバイトをしていた僕は教育実習に行った時に、いつもの調子で「わかり易く」を意識して、例え話を混ぜたり、面白おかしくやりました。生徒たちからは「わかりやすかった」と、担当していただいた先生からもそう言っていただきました。でも、「ちゃんと理解させないと子供は誤解するから、例え話とかは慎重にしないとね」とも。
「わかり易く、試験で点が取れるように」やって何が悪い!と、その時は思いましたが、実習期間を過ぎ、いろいろ考えてみると確かにそうだという考えに至りました。生徒のゴールは試験じゃないし、分かりにくくても丁寧にちゃんと教えてあげないといけない事もあるんだな、と。


教科書が電子化されて、インタラクティブにいろんなことをわかり易く学べるようになるのは間違いない。でも、その結果、「分かったつもり」をたくさん生み出してしまうんじゃないかと思ったりします。

分かりにくくて、学びにくくても、いろんな回り道をしないときちんと理解できない事もあるし、回り道で賢くなることもあるはずです。
掛け算や割り算を筆算でしたり、時間割に合わせて忘れ物をしないように準備中したり、英語や国語の辞書をひいたり、国語の本読みでページを飛ばさないようにめくったり、iPadみたいなツールに電子教科書を乗っけたら不要になるような、いわゆるめんどくさい事も、それはそれで意味があるんじゃないかなぁ?と思った次第。


まあ、紙の教科書でもiPadでも何かを伝えたいなんで意思は持ってないし、爆発もしないから、どっちみち教育のひとつのツールに過ぎないわけだけど。