iPadが未来なのか?ネットが未来なのか?

iPadが全部持ってちゃう、というのを時々見かけます。

http://journal.mycom.co.jp/news/2010/03/20/016/index.html;title
例えば、音楽、本、新聞などはすべてiPadで再生できるメディアであり、さらに映画などのコンテンツも包含できる。インタラクティブ性もあり、例えばニュースでオバマ大統領の画像をクリックすれば動画で演説が始まるなど、より表現の幅が広がる。広告でも同様のものが実現されれば、より視聴者の本能に訴えることができるというのがマードック氏の主張だ。こうした仕組みは静的コンテンツを前提としたKindleのディスプレイでは表現できず、ゆえにiPadなのだという。

iPadにのっけるコンテンツについてのニュースです。相変わらずKindleよりiPadというところに引っかかりを覚えます。(^^)ただ、今日はちょっと違う観点で。


ほんとにiPadで全部、ということになるのでしょうか?
新聞のオバマ大統領の画像をクリックしたら演説が動画で見れる、それはすごいです。でも、その画像の隣にある文字の記事は読まれなくなるのでしょうか?読者は自分の時間をオバマの動画を見る事に使いたいのか、それとも記事を読む事に使いたいのか?提供する側のメディアは何を見せたいのか?


最近、通勤電車で本を読むようにしています。また、会社や家でインターネットで得た情報をソーシャルブックマークだけではなく、ノートにもメモするようにしています。
本を読んでいるとき、ぼーっとしてると、何が書いてあるのか理解できない事があります。そういうときは、少し戻ってもう一度読みます。あるいは頭の中にイメージを浮かべたりします。情報をノートにメモする時、ふと自分の考えが浮かんで、一緒に書いたりします。数日前に書いた内容を思い出し、ページをめくって確認したりします。
こういう時に感じるのは「立ち止まる感」です。いい意味で引っかかるという感じ、自動車のノッキングではなく、散歩しながらふと足を止めて景色を見るという、心地よい感覚です。


ニュースはインターネットで分かるから新聞はもういらない。よく見る意見です。ニュースを知るだけなら正しいです。でも、ニュースを知る側は何かが頭に入ってきたら処理する為に立ち止まるべきだし、ニュースを伝える側は立ち止まらせないといけないと思うのです。
インターネットを見ながらでも立ち止まれる人はいいですが、そのまま流れてしまう人も多いです。僕もそうです。マードック氏が言う通り「本能に訴える」ものを見れば、すぐに頭に入ります。でも、頭に入れるだけじゃなくて、考えることが大事かと。そういう本能も人間にはあるんじゃないか?少なくても僕は、最近の立ち止まり感を心地よいと感じているから。


そういう「考える」方の本能も満たすようなコンテンツはどんなものでしょうか?
ネットなら、iPadならできるのでしょうか?
今のテレビや新聞じゃできない事なんでしょうか?