年初にあたり

小さい頃は元旦の朝に家族でおせちと雑煮を食べながら、父親が家族みんなに「今年の目標」を聞く、というのが決まりでした。幼心に毎年何を言おうか頭を悩ませた記憶があります。
結婚して家を出てからは、そういうこともなくなりましたが、やはり1年の始まりなので、何となく「今年はこういう感じで」と考えたりします。


インターネットとの付き合いは15年ほど前からです。最初はダイアルアップでつないで、Newsやe-mailを使うだけでしたが、検索エンジンによってnetscape navigatorのウィンドウの中に無限に思える世界が広がり、そこから自分で何かを発信したいと思うまではすぐでした。自分の「ホームページ」を作り、ネットの世界だけの知り合いも少しはできました。ところが、ある程度そういう時期を過ごすと「リアクション」を求め、それがないと不満を感じるようになります。そこで「オフ会」などに進んでいけば、違う世界も合ったでしょうが、私にはできませんでした。それから長い間インターネットは「見るだけ」のとても便利なツールでした。


去年の途中に、あるエントリに出会いました。
http://d.hatena.ne.jp/moto_maka/20090613/1244836589
これを目にしたとき、昔netscape navigatorのウィンドウを見た時の興奮がよみがえり、自分の中のスイッチが切り替わりました。「楽しんじゃえばいいんだ!
それから数ヶ月、twittertumblr、ブログなどを使って、誰に何かを伝えるというわけでもなく、自分が楽しむためにインターネットに「参加」してます。本当にもとまかさんに感謝です。


去年の記事(といっても数日前ですが)にこういうのがありました。

すべてを公開しながら生きる生き方, それがふつうだと思おう | TechCrunch Japan

これまで人間はプライベートな生活を送りつつ、そのごく一部だけを公開してきた。でも今では、それが逆になりつつある。今の私たちは公開状態で生きている(we live in public)。
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私たちは、プライベートなものを公開(public)するのではなくて、むしろ、公開状態(public)の中から選んだものを各個人のプライベートにしていくだろう。人生と生活のデフォルトがpublicなら、これまでとは逆に、何と何をprivateにしようかなぁと意識的に選ばなければならない。

私がインターネットにOutputしたものは、公開(public)なものです。ただし、y3nagataと現実世界の自分とは別人格で、その間には越えられない壁があります。ただし、両者は遠からずリンクするようになると思います。「勘のいい人が気づく」といったことを今まで懸念していたのですが、実のところ一番可能性がありそうなのは「自分でリンクさせてしまう」というものです。
昔できなかったようにネットの世界の知人と現実に会ったりということには、あいかわらず抵抗がありますが、世の中と自分の変化の結果「自分」をネット上に公開するということに抵抗がなくなってきましたし、どちらかというと自分の欲求にもなってきています。


それでも、インターネットに公開するのは選択されたものです。ただしその境界は「ネットとリアル」ではなく「(自分の)外面と内面」というリアルの世界にも存在している境界に近くなっていくと思います。もともと僕の外面は公開されたものですから。とはいえ、あんな事やこんな事はさすがに内面においとかないと(^^)

プライバシーと秘密は違う。秘密は共有できるから、秘密の共有によって人びとを排他的に結びつけることもある、とBoydは書いている。

今年の目標は「いい事を思いついたら自分だけの秘密にせずに共有する。そのためにインターネットも利用して、とにかくOutputする。」ということにします。とはいえ、これまで意識して、あるいは無意識のうちにやってきた通り、家族の写真は遠景だったり、固有名詞は避けるなど「プライバシーは非公開」にしておきたいと思います。自分の楽しみを守るために、今はまだ必要だと思うので。

ということでどうでしょうか、お父さん