リフレッシュ中

この間、新聞に一青窈さんのインタビュー記事が載っていました。(「ひととよう」を一発で変換できたことえりに驚き)
彼女の曲をそれほど多く聴いているわけでもないですし、ましてや彼女自身のことなんて知っているわけでもないわけですが、心に残る内容でした。いい悪いではなく、残しておきたいと思ったので。

「幸せ」になることが生きることでなく、「幸せ」に気づいていくことが生きていくこと

都心の混雑している量販店に行くと、子どもを連れたお母さんがいますよね。そういう光景を見ると、こんなことを思うんです。もし地震が起きたら私がまず死のうと。家族を持っている人たちの方が必要とされているのではないか。翻って私は本当に必要とされているのだろうかと。


就職活動中のまだ内定が出ていない頃だったと思いますが、夕方電車に乗って、勤め帰りの人たちを眺めていた時に、ふと「あの人にも両親がいて、奥さんや旦那さん、子供さんがいるのだな。恋人もいれば、朝までアホな事した友達も。会社には同僚、上司部下。あの人にも、あの人にも。」と思った瞬間がありました。その時まで、まだ「なれてもない"サラリーマン"となる」事を偉そうに嫌がっていた僕にしては上出来の思いつきでした。
「あの人達みんなの周りにいっぱい人がいて、その人たちと自分が幸せになる、その為に働くし、毎日満員電車に乗り続けるのだ。あの人も、あの人も。」ということ。


僕が仕事をする上で一番大事にしている事は「みんな、早く帰る。隣や前の席の人も、お客さんも、取引先の人も。自分も。」ということですが、これはこの思いつきが元になってます。もちろん仕事そのものにも幸せの素(モト)はあるわけですが、それだけで得られるものはしれてると思っています。


とりあえず、一青窈さんは地震が起きたとしても死んだらダメだと思います。みんなで助かるように、がんばらんと。

うんと幸せ - 一青窈
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同じ土に還るまでのすべて それを幸せという
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言葉のプロはやっぱり違うな。