マイコンからパソコンへ

いわゆるパソコンとの関わりは、かなり長くなる。


小学校低学年?くらいだったか、父親が「MZ-2000」という「マイコン」を買ってきた。
シャープ製の「クリーンコンピューター」というもので、ゲームとかBASICとかのテープ(カセット!)をセットして、起動すると読み込む。数分から十数分かかったように思う。

子供なので、ほとんどゲームしかしなかったが、時々BASICでプログラムを書いたりしていた。乱数を発生させてそれを当てるゲームとか、敵のいないパックマンみたいなものとか。
「自分が作ったものが動く」ということがなんだか面白かった。

当時のパソコン雑誌は、製品紹介とプログラムのソースで成り立っており、興味のあるものはポチポチ手入力することで、動かすことができた。プログラム(ソース)メインで「BASICマガジンベーマガ」というのもあったが、いろんな機種用が混ざっていて、使えるものは少しだった。違う機種用のプログラムを「移植」といって、コンバートすることもあった。

打ち込むときに、BASICソースでないもの、いわゆるマシン語機械語)のものがあったが、BASICと思い、そのまま入力して動かない というより保存もできないことがあった。兄と二人で散々悩んで、仕組みがわかったときはうれしかった。(わかったことより、打ち込んでゲームができることが)

そのころ、テレビ大阪テレビ東京系列)で、小倉さんが番組(たしか番組名は「パソコンサンデー」)を始めた。内容も面白かったが、紹介したプログラムを副音声で流すということをやっていた。副音声の音声をテープに録音し、それをパソコンに読み込ませるわけです。ただ、我が家では電波の具合かテレビの具合か、うまく録音して使えたことは無かったが。そういや、最近はやりの放送と通信の融合って奴だな!

その後、カラーモニタ、フロッピーディスク(5インチのペラペラ)がやってきた。色が出る(MZ-2000はモニタ一体型で、黒地に緑字)ことに驚き、フロッピーのスピードに驚いた。


まもなく、シャープからX1が発売され、我が家にはX1turboというのがやってきた。このX1はモニタがテレビと兼用であり、しかも「スーパーインポーズ」という機能で、テレビ映像にパソコン画面を重ねることができた。ただ、あくまで見た目だけなので、プロ野球中継のストライクゾーンを描いて遊ぶぐらいだった。

このX1は、年頃ということもありゲーム専門だった。ゲームと言えば、世の中はファミコン一色だったが、わが家にはやってこなかった。
X1に自分で打ち込んだり、通信販売(デフォルト現金書留!)とか近くのジョーシン(稀にしか売ってなかったが)で買ったりして、ゲームをやった。
が、プログラムを作る方向にはいかなかった。
FM音源という追加ハードを日本橋まで買いにいったことを覚えている。3和音が出せるのだったか。

その後、高校時代は、全く触らなくなった。不思議なことに理由は全く憶えてない。スーパーファミコンを友達から譲り受けたからだったか?
でも、X1turboのモニタ(テレビ)だけは、ずっと部屋にあって大学に入って下宿を始める時にも持っていった。それからすぐに壊れてしまったけど。


およそパソコンというものを触らなくなって、7年ほどたって大学の授業でWindowsというものを使うようになった。その間の技術の進歩に驚いた。(Lotus123にはホント驚いた)。


そして人よりよけいに時間をかけて、研究室に入り、そこで"Power Macintosh 6100"を見た。

それにはCD-ROMをトレイにはめてから入れる口があった。もう何がなんだかわからない。その中では「PageMakerというDTPアプリが動いて、卒論を書く頃にはレポート作成に使ったわけだが、自分の字がへたくそなことにコンプレックスに近い気持ちを持っている僕にとって、全くすばらしいモノだった。教授の目を盗んではSimCityをやってたけどね。




それから間もなく、僕の下宿に「Performa575」がやってきた。
ほんとにうれしかった。起動した時に「ジャーン」と音が出た。音楽CDを入れると再生された。3和音どころではない。意味なくフォルダを開いたり、ファイルを移したり、コントロールパネルの設定を変えてみたり、ひととおりやってみた。でもマウスがうまく使えなかった。でも「まきがめ」を夢中でやった。朝になってマウスはすっかりマスターしてた。


つづく