最後のMac

y3nagata2009-07-07

Performa575を買ったときに、僕にはMacだと思った。高くても使ってる人が周りにいなくても、ゲームがあんまり売ってなくても。


Power Macintosh 8600を買ったときに、これからはインターネットだと思った。


iBookを買ったときに、これからは「無線LAN」だと思った。
それは毎日部屋を掃除してくれてる嫁さんも同意見で「前のおっきいパソコンと違って、線がないから掃除しやすいわー」と言っていた。


PowerBookG4を買ったときに、これからはデスクトップじゃなくてラップトップで十分だと思った。少なくとも僕にとっては。
それは毎日一緒に暮らしている嫁さんも同意見で「一緒に住んでるのに別々の部屋にいるのはいやだー」と言っていた。


MacBook(white)を買ったときに、動きが思ったよりキビキビしていて、AppleIntel移行は正解だと思った。
それは毎日Macに向かう僕を見ている嫁さんも同意見で「Windowsも動くようになったらしいね。でも会社で使っているから家ではないよね。」と言っていた。


MacBook(late2008)を買ったときに、これはひとつのゴールだと思った。
それは毎日Macを触るようになり、2本指のスクロールとタップでクリックをマスターした嫁さんも同意見で「これ使いやすいわー」と言っていた。



初めてMacBook Airが世に出たときの衝撃は忘れない。
夜中の速報サイトで見たジョブズがうれしそうな顔で封筒から出した。光学式ドライブもLANのポートもなくUSBポートをひとつだけ持ってる、一般的にはスペック不足と思われるようなものを、自信満々で。


その時、僕はこの先どんなパソコンが出てきても、それがパソコンと分類されるものである限り、これを超えるものはありえない、と思った。もちろんそれがMacだとしても。つまり、僕にとって最後のMacになると。

でも、1.6GHzモデルは80GBのHDDで229,800円、1.8GHzモデルは64GBのSSDで388,400円。なぜか、僕にはHDDモデルではだめな気がした。そう、結局現実は厳しかった。


嫁が前のようにMacを触らない人のままだったら、僕はMacBook(late2008)を使い続けたと思う。iPodtouchでそれなりのことができるように思っていた僕は、タブレットMac(iPad!)の噂があるたび、そっちに流れかけた。でも、CrunchPadのデモを見た時、違うと思った。もちろんジョブズたちは、比べられないほど驚くようなものを作ってくれると思ってる。でもそれはMacじゃない。


そして、最後のMacがわが家にやってきた。